大橋みえ子区、葛西地域の方々と一緒に参加しました。目の前を、列を作って人が流れて行きます。国会周辺は、もっとすごいでしょう。小池晃参議院議員の話が始まりました。
2015 年 8 月 のアーカイブ
日比谷公園です。
2015 年 8 月 31 日 月曜日タワーホール・絵手紙
2015 年 8 月 31 日 月曜日日暮里から谷中へ
2015 年 8 月 30 日 日曜日
仕事で谷中に行きました。降りた駅はJR日暮里。1950年頃、私は少しの期間、日暮里に住んでいて、母に連れられこの界隈を歩いていました。憶えていることは何も無いのですが、なんとなく懐かしい気持ちでした。谷中は、お寺とお墓がたくさん有り、不思議な雰囲気の街でした。千駄木の駅に行く道は、右も左もお寺だらけ。落語家の三遊亭円朝の菩提寺があり、幽霊画展のお知らせが張ってありました。もう、涼しくなって来たから、幽霊さんも休暇を取ったら良いかもです。回り道して「夕焼け段々」を見に行き、谷中銀座でお昼のお弁当を買いました。450円、おいしかった。おっと、忘れていました。日本共産党の「戦争法案ストップ!」のポスターが目立っていました。
錦糸町・伊藤左千夫の歌碑
2015 年 8 月 25 日 火曜日
JR錦糸町駅南側に伊藤左千夫の歌碑があります。その横に、伊藤左千夫が明治時代、乳牛3頭を買って、この地で牧場を開いたと記したプレートが立っています。質素な牧舎で、1日17時間働いていたとのことです。小説「野菊の墓」はよく知られており、正岡子規の門下生としてアララギ派の中心歌人としても力を発揮した伊藤左千夫。牧場の仕事と文筆活動の両立は、とても努力が必要だったでしょう。歌碑の短歌は、わが子を愛し育てた左千夫の思いが表れています。「よき日には庭にゆさぶり雨の日は家とよもして児等が遊ぶも」
プレートの写真に残された左千夫の表情はにこやかです。この後、左千夫の後継者の斉藤茂吉等が、戦争賛美の短歌を詠む時代が到来します。再び、あの時代に逆戻りしないよう、「戦争法案は廃案しかない!」と強く声をあげましょう。30日午後2時、国会前で会いましょう。
路地裏のポスター
2015 年 8 月 17 日 月曜日玄海原子力発電所
2015 年 8 月 12 日 水曜日
玄海エネルギーパークに行きました。海側に、玄海原子力発電所があります。原子炉4基のうち1基廃炉になるから3基が稼働準備中とのことで、エネルギーパークには実物大の加圧式原子炉模型が展示してありました。格納容器は45メートルの高さ、中におさまっている原子炉は高さ15メートル。核燃料棒はウランのペレットで作られています。百聞は一見にしかず、とかで原発の仕組み、巨大さを知りました。エネルギーパークは九州電力のPR施設ですから、原発のリスクについては、ほとんど説明がありません。11日、九州電力は「再稼働やめよ」の世論を押し切って、川内原発の稼働を始めました。テレビニュースで住民が、「万一事故が起きた場合の避難路も確保されてない」と不安を訴えていました。九州電力がお金をかけたエネルギーパークで、安全を強調されても「原発ゼロこそ第一の安全」と感じました。
長崎新聞
2015 年 8 月 10 日 月曜日浦頭です。
2015 年 8 月 9 日 日曜日
8日、佐世保軍港の調査行動に行きました。大型バス8台の参加でした。自衛隊のイージス艦、補給艦、米軍のミサイル迎撃艦などが港に停泊していました。米軍住宅近くにも行きました。米軍基地は、日本の思いやり予算が惜しみなく投入されていると説明があり、驚きでした。米軍住宅の水道光熱費も日本の負担、私達の税金があてられている、そのことを圧倒的多数の国民は知らないのだから、おかしな日米関係です。長崎市内に帰る途中、浦頭に寄りました。第二次大戦敗戦のあと、中国大陸等からの引き揚げ船が着いた港です。引き揚げ記念資料館に歌手・加藤登紀子の色紙がありました。二歳で引き揚げ船に乗って日本に帰ってきた加藤登紀子さんの思いが綴られています。満州からの引き揚げのことは、漫画評論家の石子順さんが、ちばてつやさん、赤塚不二男さん、森田拳次さん達の著名な漫画家と、当時の様子を本にしています。涙なくしては読めません。戦争で苦しむのは、犠牲になるのは国民です。戦争はダメです。今日は8月9日、長崎への原爆投下70年目の日です。