7月27日午後2時半、市川橋の下で、千葉県から東京への原水爆禁止国民平和大行進引継ぎ式が行われました。曇りがちの天気ではありましたが暑さは厳しく、160人をこえる行進者のために用意した冷たい麦茶が大好評。アンパンとパンの耳のお菓子もあっと言う間になくなりました。来年は、もう少し多く用意しなくてはならないようです。受け入れを終えた後、5時半から、核兵器廃絶を訴えて区内をデモ行進し、江戸川区役所前で葛飾原水協に引継ぎました。今年の原水爆禁止世界大会は長崎がメインになります。「江戸川から一人でも多くの参加者を」と、各団体、各分野の方が努力しています。今年の大会は、原発事故やアメリカの臨界前核実験のことがありますから、世界の人達が注目していることでしょう。30日から始まる日本母親大会とともに、全世界に平和と安全をよびかける大事な大会です。
2011 年 7 月 のアーカイブ
原水爆禁止国民平和大行進東京に到着
2011 年 7 月 29 日 金曜日ハンゲショウ
2011 年 7 月 25 日 月曜日月はじめに朝のテレビでハンゲショウががたくさん咲いている様子が映し出されていました。ちょうど暦の半夏生にあたる日だったので、紹介されたようです。きれいな映像が印象に残りました。今日、偶然、江戸川区役所の近くの緑道で出会うことができました。虫媒花で、花の咲く時期に目立つよう葉を白くしているのだそうです。命をつなぐ生き物の不思議ですね。同じ地球に生きる私達人間は素晴らしい力を持っているのだけど、命を脅かす行ないも続けています。自然の営みに従って半夏生を知り、田植えの目安にしていた先人達のような素朴な生き方が、今、求められているのではないでしょうか。新聞の投書欄に放射能汚染牛に関連して「畜産農家は悪くない、東京電力や国の情報隠蔽体質がこの事態をまねいたのである」と、きっぱりした意見が寄せられていました。その通りです。農家の方々が責任を感じて自殺するような事態が起こらないことを願います。命はかけがえがありません。
第31回江戸川区原爆犠牲者追悼式
2011 年 7 月 18 日 月曜日
7月17日、うだるような暑さの中、午後2時から葛西区民館ホールで原爆犠牲者追悼式が行なわれました。会場中程に席を取って前を見ると、白髪まじりの方が多くなったのを感じました。でも、壇上で意見を発表したのは、小学生、中学生、高校生の皆さんでした。「戦争と核兵器は無くさなければ」の思いは世代をこえて引き継がれていくのだなあ、と希望が湧きました。区民館前の滝野公園にある追悼碑にはヒロシマ、ナガサキのヒバクシヤ301名の名簿が奉安されているそうです。式の後、追悼碑に参加者一人一人が黄菊を献花しました。福島第一原子力発電所の事故のもとで、放射能の恐ろしさと核兵器への怒りが、強く表明された集まりだったと思います。江戸川のヒバクシヤ団体、親江会の前会長である銀林恵美子さんが病身をおして車椅子で出席され、「元気になって、『碑』のことを取り組んで行きたい」と話されました。銀林さんの言葉に涙してしまいました。ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・フクシマ!力を合わせましょう。18日、目が覚めたら、女子サッカーW杯ドイツ大会で、日本チーム優勝の嬉しい知らせ。このニュースにも涙が流れました。
暑いです!
2011 年 7 月 14 日 木曜日クチナシ
2011 年 7 月 9 日 土曜日7・2原発ゼロ緊急集会
2011 年 7 月 5 日 火曜日
明治公園での「原発ゼロをめざす緊急集会」に行きました。私は、朝10時過ぎに会場に着きました。時を同じくして福島県から参加の人達が乗った貸切バスが到着。長距離を走って来たでしょうに、皆さんは元気にバスから下りてきました。被災で厳しい毎日にもかかわらず、意欲に溢れた姿に頭が下がりました。会場周囲のブースでは、多彩な催しが展開されていました。静岡県の浜岡原発停止と廃炉を求める署名コーナーには、ひっきりなしに人が来て次々にペンを取っていました。私も力を込めて記入して来ました。そして、江戸川区から来る人のために、会場中央の大きな欅の木の下に旗を立て、場所を確保しました。日差しを遮り、風がわたる良い位置です。一番乗りというのは気持ちがよいものです。雨になるという天気予報ははずれて終日良い天気でした。集会は内容も参加者数も大成功。公園を埋めた人の波に感動でした。この力をもっともっと広げて行かなくてはなりません。原発推進勢力に痛打を与え、安全なエネルギー政策を持つ国にしていかなくては、と会場の熱気の中で心を引き締めました。集会の様子は日本共産党のホームページでご覧になれます。